photo: Satoshi Nagano

まちの先輩10人目:永冨久三さん(永久ファーム代表)

2017/03/18

ーー図書館・歴史資料館「ふくちのち」は、利用する人たちのさまざまな挑戦を応援する場所でありたい。このコーナーでは、そんな想いも込めて、すでにいろんな挑戦をされている“まちの先輩”に、活動のきっかけやエピソードをインタビューしていきます。

まちの先輩、第10回は「永久ファーム」の代表を務める永冨久三さん。JAで指導員として10年間勤めた後に、指導する立場から実際に作物を生産するプレイヤーとして農業の道へ。平成5年に永久ファームを立ち上げ、ミニトマトを専門に米や麦、大豆なども生産している。

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永冨:実家が米農家だったのでお米はつくっていましたが、永久ファームを立ち上げ、指導員から実際に現場で手を動かす立場になって、その違いに驚きました。指導員だった頃は、たまに農家さんのところへ行って、「こういうことでは、ダメですよ」と意見することもあったのですが、今思うと失礼なことを言っていたなと反省しています……。アドバイス自体は間違っていないのですが、頭でこうなるはずだと考えて動いたことと作物がイコールでつながらないことが大半。それまで理論的に信じていたもの、築いてきたものがズタボロになりましたね。理屈ばかりではない。もちろん、自然を相手にするのだから当たり前のことですが……。

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永冨:作物は話しません。水が欲しいのか、肥料が欲しいのか。暑いのか、寒いのか。いろんなところを見て感じ、「あ、今はこれが欲しいんだな」というのを察しないといけない。肥料濃度や温度の数字を見るだけではダメ。作物の顔色を見ながら動かないと、マニュアルだけではうまくいきません。昔の人が「作物と話せてやっと一人前だ」と言っていた意味が、20数年続けて、今やっとわかりつつあるかな。

ペルー、ボリビア、チリ北部などのアンデス高地が原産地とされているトマトは、大航海時代の16世紀にヨーロッパへと伝わり、18世紀には広く食べられるようになった。日本へ渡ってきたのは17世紀頃。江戸時代の寛文8年(1668年)には絵師・狩野探幽(かのう・たんゆう)がトマト(唐なすび)を描いている。伝わった当初は観賞用で、一般家庭にトマトが普及したのは第二次世界大戦後のこと。

トマト、と聞くと多くの人が赤くて大きなトマトを思い浮かべるのではないだろうか。実は、トマトの原種は2cm程度の果実だったそうだ。「本来なら大きいトマトを大トマトといわないといけない。今は大きいトマトがトマトで、小さいものがミニトマトという名前になっているんだけど、本来は逆なんですよ」。永冨さんは語ってくれた。

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永冨:ミニトマトの生産が主なのですが、並行していくつかの品種を実験的に栽培しています。そのなかから良いなと思うのを中心に栽培するんです。今は食味の良い「ラブリー藍」という品種のトマトを栽培しています。収穫時期は10月から6月の約9ヶ月。今は生産数よりも味を重視して、少しストレスを与えながら栽培をしているので、どうしても収穫量は前よりも落ちています。というのも、今や道の駅やスーパーなどの直売所が主な販売経路。16箇所ほどの直売所で販売していますが、名前を見て買ってくれる人が多いので、「この人のミニトマトはおいしいよね」という口コミが大事なんです。だから、味にはこだわっています。私のトマトは春先になるとイチゴと変わらないくらい甘くなりますよ。食べる人への届け方から農法を変えていく。ただつくって、ただ市場に出すのではなく、食べてくれる人のことを考えながら、農家それぞれ、工夫や努力をしています。

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消費者の食に対する安全・安心のニーズが高まるにつれて、全国的規模での農産物直売所の数が増加傾向にある。「平成26年度6次産業化総合調査報告」(農林水産省調べ)によると、農産物直売所は全国で23,710を数える。コンビニの最大手セブン・イレブンの国内店舗数19,171(2017年1月)を大きく上回っていることからも、数の多さが伺える。

従来は作物の売価や販売先を生産者は選ぶことができなかったが、今では生産者が生産方法から流通までを選択できるようになっている。農産物はその収穫量によって価格が大きく作用されるため、どの選択をしてもメリットとデメリットがある。しかし、生産・流通の多様化によって生産者も消費者も、ニーズに合わせた選択ができるようになっているのである。

参考:「農林水産省6次産業化総合調査(平成26年度)」http://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/rokujika/#r

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永冨:息子が2016年4月に農業大学を卒業し、後を継いでくれます。これまで実践しながら培ってきた技術を息子に伝えつつ、新しいことにも挑戦していこうと考えています。まずは、6次産業化を目指して、また福智町にも還元できたらいいなと思っています。

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