photo: Satoshi Nagano

「ふくちのち」をあるく その5ーまとめ

2017/03/05

フィールドワーク4回目から7回目までの4回に渡って、実際に歩いてみて読み取れる、福智町らしい風景を探ってきました。8回目である今回は、これまでの振り返りをします。

本間:実際に歩いてみていかがでしたか?
惠谷:すごくおもしろかったです! 旧三町の赤池町、金田町、方城町で、自然や人の暮らしが違っているのが良くわかりました。
本間:最初にドローンで見た地域のイメージと何か変わりましたか?
惠谷:そうですね、河岸段丘の高低差は、高いだけじゃないっていうことかな。ドローンの映像でかなりの高低差があることがよくわかったんだけど、その河岸段丘を境に暮らし方が変わるんだなって。おおまかにいうと、段丘面よりも上は斜面地を活かした棚田や林業、段丘面では大きな溜め池を利用した稲作、河岸段丘より下の谷底平野では古代から続く整然とした水田。
本間:なるほど! ドローンもいいですけど、自分の足で歩いて自分の目で見ることは、身体的に地域のことを把握することができて大切ですね。

* * *

本間:田んぼの形や水の流し方からも、その田でお米を育てるために創意工夫をこらす人の思いが見受けられましたね。
惠谷:それは、お米を安定してつくり続けるための創意工夫なんだと思いました。
本間:そういう意味では、旧赤池町の市場付近では、その土地に歴史上あった条理区割を思わせるような整然とした圃場(ほじょう)が、鉱害復旧事業によって整備されたということを知りました。炭坑という農業外の要因による変化を受け入れながらも、この土地で農業を続けていくことの意思を感じましたね。
惠谷:ずっと住み続ける、お米を生産し続ける、地域で生き続ける、そういう持続のための意思が読み取れる工夫をたくさん見れたのもよかったね!

* * *

惠谷:建物では、「ヤダレ」という特徴を、私たちが調査したことのある山口市以外に、福智町でも発見することができたのは驚きだったね!
本間:温暖な気候なので、縁側のような中間領域が必要なく、その代わりに、農作業に関わる堆肥や苗、洗い物や洗濯物など、風を当てながらも日差しを調整することのできる軒下空間が発達していることがわかりましたね。
惠谷:福智らしさは建物の細部にも宿っているのを感じました。

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旧赤池町草場地区付近の整備された圃場(ほじょう) photo: Hiroko Edani

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「ヤダレ」の残る旧赤池町草場地区の民家 photo: Tomoki Homma

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旧赤池町市場地区付近の風景 photo: Satoshi Nagano

本間:ボタ山の今は一見するとわかりづらく、フィールドワークでは苦労しましたね。
惠谷:どこがボタ山だったか、地図ではわからないし、お話を聞いて現地に行ってもよくわからないというのが正直なところで……。そもそも使われている最中のボタ山を見たことがないからだと思うんだけど、ボタ山を見ないで育った子どもたちへの伝え方に工夫が必要かもしれないなと思いました。ボタ山マップとかあるとわかりやすいかもしれないね!
本間:また今回は、旧赤池町に残る赤池マーケットを訪ねたところから、マーケットから鉱滓煉瓦まで話が広がりましたね。木造アーケードと鉱滓煉瓦が残る遺構としても、地域コミュニティでもある商業空間としても、炭坑のあった町の生活を今に伝える上で、赤池マーケットは貴重な存在と感じました。
惠谷:炭坑で出るボタや製鉄で出るスラグなど、かつての“ものづくりの営み”を無駄にすることなく、その姿が今でも町の風景に息づいているのがよくわかったね! 本来は廃棄されるようなボタやスラグが、地域の特色的な景観の形成に貢献していて、北九州ならではの風景なんだなと思いました。
本間:最近では、「山本作兵衛の炭坑記録画・記録文書」がユネスコの世界記憶遺産に登録されるなど、炭坑に関わる記録や遺構に対する再評価の機運も高まっています。
惠谷:炭坑にまつわるものは近代化遺産として保護される動きがあります。それはそれでとても大事なことだけど、なんでもない日常に息づく炭坑の記憶も、大事にしていって欲しいなと感じました。

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ボタ山の痕跡を探して photo: Satoshi Nagano

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赤池マーケットに集まる地元の子どもたち photo: Tomoki Homma

本間:今回フィールドワークを実施するにあたって、たけやんや司書の川嶋さんはじめ福智町教育員会のみなさんには、現地での調査の段取りなどで大変ご尽力をいただきました。
惠谷:オープンに向けてお忙しい中、本当にありがたかったですね!
本間:お忙しい中でもフィールドワークに同行してくださって、「住んでいるけど今まで行ったことなかった」「これまで気にも留めなかった」などの感想をいただくこともありました。
惠谷:どんな地域でもそうですが、地域の中で長年暮らしていないと知りえない記憶と、一方で地域の中にいると当たり前すぎて見過ごしてしまうような外からの気づきもありますよね。私たちが取り組んでいる文化的景観学でも、地域内外の立場と視点どちらも大切で、一緒にタッグを組んで地域の風景を考える関係を構築していくことが求められています。
本間:そのためには、オープンした「ふくちのち」が、地域内外から福智町の風景を見守る人たちにとって拠点のような存在となっていったら嬉しいですね!

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フィールドワークの様子 photo: Satoshi Nagano

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改築中の福智町立図書館・歴史資料館と旧赤池町(2016年7月1日撮影) photo: Tomoki Homma

本間:今回の記事を公開してみて、どんな反応がありましたか?
惠谷:おもしろかったのは、文化的景観学のシンポジウムでお話しいただいたことのある、植物生態学の研究者である白川勝信さんという方から反応があったことですね!
本間:そうでしたね! まさか白川さんが赤池町のご出身だったとは思いませんでしたね!
惠谷:白川さんは今は北広島町立「芸北 高原の自然館」の主任学芸員をされています。白川さんが子どもの頃、身近な大川が彦山川で、一番身近な橋が蔵元橋(潜水橋)だったそうです。また、白川さんによると、市場の整然とした農地は昭和10年以降につくられたものということでした。昭和10年頃に彦山川の堤防がつくられて平坦な地形になる前までは、わりと起伏があって、河道はずいぶん違っていたそうです。
本間:船着場となっていた「切り寄せ」などの地名も残っていると教えてくださいましたね!
惠谷:地域の中に、大切な記憶があることを改めて思い知らされました。それと、福智町出身の魅力的な研究者に、福智町を知る前に出会っていたことも嬉しかったです!
本間:白川さんは、研究者でありながら、観光や教育と、生態系保全との一体化に取り組んでおられます。例えば、北広島町の芸北地域の「芸北せどやま再生プロジェクト」では、里山景観の再生を目指して、地域経済に組み込んだ木材資源の循環を進めていらっしゃいますね。
惠谷:福智町の風土が生んだすばらしい実践型研究者ですね!

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本間:今回は風景の変化や特徴に焦点を当てて歩いてみて、そこから地域の人の営みや歴史を考えてきました。
惠谷:白川さんが教えてくださったように、地域の中にはまだまだ大切な記憶がありそうだなと思いました!
本間:もう少し、福智町に長らく住まわれている「人」に焦点を当てて、個人の記憶から福智町の風景の歴史を考えることも大切ですね。
惠谷:実際に歩くだけでなく、じっくりお話をお聞きするオーラルヒストリーですね! 私たちが調査でよくご一緒させていただいている、民俗学者の菊地暁先生にも参加してもらいましょう!
本間:それは妙案です!!
本間&惠谷:菊地先生〜〜〜〜!!!!

菊地:お声かけありがとうございます。京都大学で民俗学を教えている菊地です。九州は何度か訪ね歩いていますが、炭坑の町でじっくり話を聞いたことがないので楽しみです。
惠谷:ありがとうございます! 次回からは私と菊地先生がバトンタッチですね。
本間:次回からは、フィールドワーク第3弾として、菊地先生と晩秋の福智町を訪ねたオーラルヒストリー編をお届けします!

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彦山川と中元寺川の合流点から上流を眺める(2016年6月30日撮影) photo: Tomoki Homma

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彦山川と中元寺川の合流点から下流を眺める(2016年6月30日撮影) photo: Tomoki Homma

本間智希
京都を拠点にフィールドワークをベースに活動するリサーチャー。静岡山奥の祖母の家に憧れつつ東京郊外の団地で育ち、早稲田大学で建築史を学び、京都で建築リサーチ集団RADに参画。最近では千年つづく村を歩きまわり、よくドローンを飛ばしている。いいタイルやトタンを見ると思わず触れてしまう。

惠谷浩子
奈良文化財研究所の研究員として文化的景観の研究に携わる。四万十川流域や宇治、京都岡崎をはじめとする全国各地の文化的景観の調査に没頭中。専門は造園学。自然と歴史のなかで育まれた土地独特の風土や知恵(美味しい食べ物含む)をこよなく愛する。

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