photo: Satoshi Nagano

「ふくちのち」をあるく その3ーボタ山の今

2017/02/13

「ふくちのち」をあるくフィールドワーク。第3弾は、近代の一大産業であった炭坑に着目して歩いてみましょう。炭坑の町ならではの記憶は、どのようなところから読み取れるでしょうか?

恵谷:これまで農業に着目して歩いてみましたが、福智町といえば炭坑の町ですね。
本間:はい。福智町には、三菱鉱業(現在の三菱マテリアル)によって1902年に開鉱した方城炭坑(旧方城町)、1908年から明治鉱業株式会社の経営となった赤池炭坑(旧赤池町)がありました。たとえば、合併前の広報『あかいけ』最終号によると、昭和19年の明治鉱業赤池鉱業所の鉱員数は3,800人近くいて、町の人口も昭和26年には17,500人もいたと書いて有ります(『あかいけ』最終号P.15頁)。1964年に方城炭坑が閉山、1970年に赤池炭坑が閉山しています。現在は福智町全域で約24,000人ほどなので、石炭のすごさが伝わってきます。
恵谷:閉山して半世紀近く経っているのですね。それでも、炭坑の記憶を町の中から読み取るには何がいいでしょう?
本間:やはりボタ山ですね!  操業当時の赤池炭坑の様子がわかる写真が、旧赤池町の広報『あかいけ』最終号(平成18年2月)に掲載されています。
恵谷:周りは平屋建ての炭坑住宅が並んでいるので、ひときわ高く見えますね!
本間:これだけ目立つボタ山ですが、今の福智町を眺めてみると、そのままの形で残っているところは一見なさそうです。
恵谷:ボタ山があったところが、今どのように利用されているのか見てみましょう!

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三菱方城炭坑のあった現在の日立マクセル株式会社の敷地内、ボタ山によってできた小高い丘に白い工場が建つ photo: Satoshi Nagano

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福智町立図書館・歴史資料館「ふくちのち」に改修中の旧赤池支所の付近。このあたりもボタ山だったところを造成して住宅地がつくられた photo:Satoshi Nagano

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赤池グランドやテニスコート。このあたり一帯も、ボタ山だらけだったという photo: Satoshi Nagano

恵谷:こうやって見てみると、ボタ山の跡地利用には傾向が読み取れます。ボタ山のスケール感がそのまま、公共施設やグランド、住宅地といった大きな土地利用の開発につながったのが、戦後の福智町の風景を変化させたひとつの特徴のようですね。
本間:同行していた田川市在住カメラマンの長野さんがボタ山跡のメガソーラーを以前撮影されていて、その写真を見せてくださいました!
恵谷:すごい! 見渡す限りソーラーパネルが並んでいて、見るからに日照量が多そうです!
本間:ボタ山という近代的なエネルギーの産物が、メガソーラーという現代的なエネルギー地帯に受け継がれている例と言えます。
恵谷:一見すると風景の改変が激しいように見えますが、土地の記憶が引き継がれているんですね。

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旧赤池町のボタ山の跡地に最近できたメガソーラー(撮影2015年12月7日) photo: Satoshi Nagano

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赤池駅南西のボタ山 photo: Satoshi Nagano

本間:赤池駅近くのボタ山が、もっとも形状を残していました!
恵谷:ボタ山が緑で覆われて森になっていたね。外から来た人間からすると、言われないとボタ山だとはわかりませんでした。
本間:一方で昔から住んでいる人にとっては、その山がボタ山だったことは当たり前なんでしょうね。
恵谷:ボタ山は、ボタと呼ばれる捨石の集積場なんだけど、材質が均一で安定性に欠け容易に崩壊しやすいので、以前は地すベりなどの事故も炭坑の町ではつきものだったそうです。今でも、地すベり等防止法や森林法等の法令で、維持管理が義務づけられています。
本間:石炭の採掘は坑道内での危険と隣り合わせですが、地上においても、ボタ山の崩壊や地盤沈下などのリスクに晒されながらも資源の恩恵に預かり、日本の近代化を支えつづけたんですね。
恵谷:それにボタは、品質が低いとはいえ石炭分が含まれることがあるので、自然発火することもあったそうですよ。
本間:前にほかの炭坑の町で、煙りが出ているボタ山があるというのを聞いたことがあります。ところで今さら恥ずかしくて聞けなかったのですが、ボタってどういうものなのか、自分は知らなかったんです。
恵谷:実は私も最初はわからず、長野さんが「こういうのですよ」と教えてくれました! 隣の田川市ですが、さすが炭坑の町で育った人の目は違います!

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ボタの欠片 photo: Satoshi Nagano

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photo: Satoshi Nagano

本間:う〜ん、素人目には、普通の石と区別がつきません。
恵谷:さらに長野さんから、ボタが自然発火して燃えた後のものを「シャモット」と呼ぶことも教えてもらいました。
本間:そうそう! シャモットって、耐火煉瓦(れんが)の材料、耐火モルタルの骨材などに用いられているものということで名前を聞いたことはあったのですが、ボタが燃えてシャモットになるとは、今まで気づきませんでした!
恵谷:シャモットがどこにあるか、気になってボタ山の周りを探してみたんですよ!
本間:足元ばかりみながらウロウロと歩いていたので、見るからに不審な集団でしたね(笑)。

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ボタ山のすぐ近くを探してみると…… photo: Satoshi Nagano

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歩いていた舗装された道の下にシャモットが敷き詰められていました! photo: Satoshi Nagano

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拳の大きさのシャモットが道路の側面から顔を出す photo: Satoshi Nagano

本間:灯台下暗し。まさか足元の道路の下にシャモットが使われていたとは思いませんでした!
恵谷:シャモットは多孔質で吸水性が高いのが特徴だそうです。以前は、工事現場の車両用道路の舗装に多用されていたそうですよ。新幹線と高速道路をつくるときの土壌改良剤としても、シャモットが使われていたりするんだって!
本間:そういう意味では炭坑という一大産業は、石炭のエネルギー資源だけでなく、ボタ山だったり、シャモットだったり、余すところなく、日本の国土の発展に貢献しつづけたんですね。
恵谷:シャモットは水持ちが良いから、園芸や庭石にも使われているんだって! そしてフィールドワークを終える直前、たまたま車で通ったお宅で石塀やお庭にシャモットを使っているのを発見したんですよ!
本間:あのときは感動しましたね!
恵谷:一般的にはなかなか庭には使われないような表情の石でしたが、それを大胆に配置していて、炭坑の町ならではの庭園表現だなと思いました!

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偶然にも、とあるお宅の塀の基壇にシャモットが使われている例も発見しました! photo: Satoshi Nagano

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庭石や石灯籠を模したシャモット photo: Satoshi Nagano

本間:ボタ山の今を歩いてみていかがでしたか?
恵谷:こんなに跡地利用のバリエーションがあるとは思わなかった! それに炭坑由来とも言えるシャモットという素材が、今でも身近な存在として使われているのは発見でしたね。
本間:福智町に暮らしている人に聞いてみますと、「そこら中、ボタ山だらけだったんだよ」と教えてくれます。一方で「では具体的にどこですか?」とお聞きしても具体的な場所まではわからなかったりします。そうやって地域の人たちの足元に無意識に積み重なった歴史によって、道だったり宅地ができて、今の暮らしが成り立っているんだなと。
恵谷:今回わたしたちが訪ねた2日間でも、いくつかのバリエーションでボタ山の跡地利用を見ることができましたが、まだまだありそうですね。
本間:跡地めぐりができるような、ボタ山マップみたいなものがあってもおもしろそうだと思いました!
恵谷:そうそう! 例えば、歴史資料館が開館したら、ボタ山があった場所の上に何があるのかを網羅的にフィールドワークで調べてみて、その成果を持ち寄ったワークショップ形式で「ボタ山跡マップ」をつくるのもおもしろそうですね!

【その4】へ続く

本間智希
京都を拠点にフィールドワークをベースに活動するリサーチャー。静岡山奥の祖母の家に憧れつつ東京郊外の団地で育ち、早稲田大学で建築史を学び、京都で建築リサーチ集団RADに参画。最近では千年つづく村を歩きまわり、よくドローンを飛ばしている。いいタイルやトタンを見ると思わず触れてしまう。

惠谷浩子
奈良文化財研究所の研究員として文化的景観の研究に携わる。四万十川流域や宇治、京都岡崎をはじめとする全国各地の文化的景観の調査に没頭中。専門は造園学。自然と歴史のなかで育まれた土地独特の風土や知恵(美味しい食べ物含む)をこよなく愛する。

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