photo: Satoshi Nagano

「ふくちのち」をあるく その2ー「ヤダレ」を求めて

2017/01/27

「ふくちのち」をあるくフィールドワーク。前回の田んぼの記事で見てきたように、炭鉱で栄えた福智町は、現代にいたるまで「農」が暮らしの基盤にあります。では、福智町の伝統的な住まいの形に、農を基盤としていることがどのような特徴として表れているのでしょうか。次は住まいからわかる「ふくちのち」を見ていきましょう!

本間:今回のフィールドワークを実施するにあたって、福智町の旧町の地誌などの資料を見ていたら、平成11年5月に当時の金田町教育員会が編集した『金田町誌』の民俗のページで、民家の間取りを説明する図中に、興味深い呼び名があったんですよね!
恵谷:そうそう!
本間:民家の入口あたりを指す「ヤダレ」というものです。

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田川地方の民家の間取りの一例(『金田町誌』金田町教育員会編集、平成11年5月より転載)

恵谷:これを見つけたときはテンションが上がったよね!
本間:盛り上がりましたね! 「ヤダレ」の理由は追々お話しするとして、この図の中には「ろのある部屋は落間(おちま)」と書いてあります。
恵谷:「落間」、聞いたことがないなあ。
本間:地域によって「落間」と呼ぶ部屋は異なるのですが、福智町では囲炉裏部屋を指していてます。床が他の畳部屋に比べて一段下がっているのでそう呼ぶそうです。上弁城の永末大介さん宅でも見られましたよ! 土間の空間に張り出した板間の部分です。
恵谷:そういえばそんな部屋があったね!
本間:昔はカマドのある土間で炊事をして、炉のある落間はご飯を食べる場所。今でいうダイニング、家族団らんの場所だったんでしょうね。
恵谷:なるほど! 永末さんのお宅のように、家に入ってみるとその名残が見られる家が今でも残っているのですね。
本間:そうですね。では本題の「ヤダレ」に移ります。『金田町誌』には「母屋は平入りで半間ほどの吹き通しの部分(ヤダレと呼ぶ)を作り、洋風のポーチに似た役割を果たしている。」と書いてあります。
恵谷:ポーチに似た役割というのはどういうことだろう?
本間:実際にどんな使われ方をしているのか気になりますよね。というのも実はこのヤダレという空間、僕と恵谷さんは他の地域でも見た事がありますね。別の調査で訪れた山口市鋳銭司の和西集落というところでも、ヤダレと呼ばれる空間を持った民家がありました。
恵谷:その地域では「屋垂れ」という漢字の意味でしたね。
本間:そうです! 縁側がなくて、屋根が垂れてくるような深い軒下の空間のことをそう呼んでいました。和西のある山口市鋳銭司地区は、瀬戸内性気候で1年を通して比較的温暖な地域なので、縁側のような中と外の中間領域の必要性がないという考察をしました。
恵谷:和西では、ヤダレで作物や肥料を乾燥させたり、四季に応じた暮らしにヤダレが活かされていましたね!

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山口市鋳銭司地区和西集落に見られるヤダレの利用方法 photo: Tomoki Homma

本間:そういうわけで、地誌に載っていた「ヤダレ」という文字を信じて、福智町にもヤダレのある民家が残っているのか、探しに行きました!
恵谷:実際の空間がどう使われているのかとワクワクして探したね!
本間:最初に伺ったのは永末さんのお宅でした。
恵谷:ただ、永末さんご夫婦も「ヤダレ」と呼んだりしないとおっしゃっていたように、張り出しが少し足りないような印象を受けました。玄関の軒下にはソファが置かれていて気持ちよさそうではあったんだけどね!
本間:玄関周りの軒は深くて軒を支えている桁材も立派で、ここだけ見ると「屋垂れ」の空間という印象もありますが、座敷の方の軒下空間を室内に増築されているので、張り出しが足りないような印象を受けるのでしょうね。
恵谷:永末さんの家は築150年以上だそうで、最初は藁葺き屋根だったそうですが、昭和に2階建てに改築した際に瓦屋根にされたとおっしゃっていましたね。
本間:他の地域でも、2階をつくる改築のタイミングで屋根も瓦屋根に変わるという話はよく聞きますね。ヤダレが残っているというより、軒下が増築で室内化した例ですね。

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上弁城の築150年以上の永末家 photo: Hiroko Edani

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増築によって室内化した軒下空間 photo: Tomoki Homma

本間:その後、車で福智町をめぐりながら、ヤダレがありそうなお宅を探しました。福智町も比較的温暖な気候の地域であるためか、他にも戦前くらいまで遡りそうな伝統的な家屋を見てみると、縁側がなさそうな家はいくつか見られました。ですが、座敷の部分の軒下は室内に増築されているのが一般的な印象でした。
恵谷:探してみると、なかなか見つからなかったね。
本間:茅葺きの屋根にトタンを被せた民家であれば、ヤダレが今もあるかなと思って、目を凝らしました!
恵谷:なるほど、そういうポイントで探していたんだね!
本間:そうなんです。同じ上弁城の地域には、今でも何件か茅葺きにトタンを覆った屋根の民家が残っていました。

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上弁城のトタン覆い民家 photo: Satoshi Nagano

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上弁城のトタン覆い民家。このお宅も入口の軒は深いが座敷の軒下は庇を付け足して増築している photo: Satoshi Nagano

恵谷:うーん、どれも惜しいね!
本間:いずれも「ヤダレ」と呼ぶには難しい、軒下空間が室内化されているお宅が多いですね。
恵谷:もしかして、もう残ってないのかなぁと諦めていました。
本間:上弁城だけでなく、次は福智町全体で航空写真から屋根を凝視して、トタン屋根で覆われた藁葺きの家を探しました!
恵谷:そんなことができるの?
本間:趣味はGoogleMAPで色々な地域へ行った気になる妄想旅行で、特技はGoogleMAPの航空写真から茅葺き民家を探し出すことです!
恵谷:なんとマニアックな!
本間:そうやって凝視してトタン屋根の民家に目星をつけて訪ねてみて、旧金田町の草場地区にある藤村さん宅に伺った時でした!

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屋敷林に囲われた緑の中から屋根がちょこんと頭を出している photo: Tomoki Homma

恵谷:遠くから見ると屋敷林に囲われた、まるでジブリの世界観のような屋敷構えね!
本間:敷地の外からだとどんな建物かわからないので、ヤダレがあったらいいなと願いながら伺いました。
恵谷:そして見事にヤダレを発見! しかもかなり深いですね!
本間:探し求めていたものはこれです! 半間(約90cm)どころか1間(約1.8m)近く軒が出ていますね! 藤村さんにお話をお伺いすると、むかしは「ヤダレ」と呼んでいたということでした。
桁を支える独立柱がたった2本、間隔も4間(約7.2m)ととても離れていて、前庭との連続性が意識されています。とても開放的ですね。一見、柱が少なくて構造的に不安に思うかもしれませんが、外壁から横に伸びて桁を固定させている腕木が2間スパンで掛かることによって成立させています。
恵谷:そういう建築的な工夫によって、清々しい軒下空間が成立しているのですね。でも、そもそも何故、わざわざそんな工夫をしてまで開放的な軒下空間を作る必要があるのでしょう?
本間:一般的に伝統的な民家は南向きに立地していて南に開けているので、南向き民家の前庭は、日照を確保しやすくなっていて、脱穀や干したり農作業をするスペースとして大事な場所なんですね。ただ、作業によっては直射日光が当たらないように長時間、日陰干しをする必要もあるので、前庭空間と連続した日陰の空間=軒下空間も大切なんです。雨量や積雪のある地域では、そのような作業を民家の土間でしますので、土間がものすごい広いんです。
恵谷:福智町も、農業が基盤となる暮らしが基本にあることがよくわかるね。

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草場の藤村家。深いヤダレ空間が残っている photo: Tomoki Homma

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草場の藤村家のヤダレ。軒先まで1間近くある photo: Tomoki Homma

恵谷:ところで、永末さん宅と同じように、藤村さん宅の軒下にも椅子が置かれていて、どちらの家でも玄関横の軒下が社交場とかちょっと休憩する場所とかになるみたいでおもしろいね!
本間:福智町のほかの民家でもそうかもしれませんね! しかも藤村さん宅のヤダレでは、洗い物が干してありました! ヤダレは、本来は農作業に関する堆肥や作物を乾燥させるため、風通しがよくて直射日光の当たらない作業空間として成立した建築的な特徴ですが、その機能を生活の中でうまく取り入れています。まさにヤダレのフル活用といった感じですね!
恵谷:洗濯物を干すのにも都合が良さそうね!

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洗い物を干すのにもヤダレが利用されている! photo: Tomoki Homma

本間:「ヤダレ」という言葉を発見した『金田町誌』の民俗ページですが、昭和37年の民俗緊急調査報告書をもとに「住まい」の箇所が書かれています。その民俗調査では、ヤダレや落間について聞き取りがされていたそうです。
恵谷:戦後に全国で実施された緊急民家調査ではどうなんでしょう?
本間:調べてみたのですが、昭和47年に刊行された福岡県の緊急民家調査報告書には、建築構造や建築年代に関しての詳しい調査や考察はされていますが、ヤダレについても落間についても言及されていませんでした。
恵谷:建築史と民俗学で見ている視点が違ったということも重要な指摘ですね。
本間:民家は、その土地ならではの暮らしの積み重ねの賜物です。そういう点では、研究者としても生活に立脚した建築史と民俗学双方の視点を取り入れた民家調査が大切なんだなと今回改めて実感しました。

【その3】へ続く

本間智希
京都を拠点にフィールドワークをベースに活動するリサーチャー。静岡山奥の祖母の家に憧れつつ東京郊外の団地で育ち、早稲田大学で建築史を学び、京都で建築リサーチ集団RADに参画。最近では千年つづく村を歩きまわり、よくドローンを飛ばしている。いいタイルやトタンを見ると思わず触れてしまう。

惠谷浩子
奈良文化財研究所の研究員として文化的景観の研究に携わる。四万十川流域や宇治、京都岡崎をはじめとする全国各地の文化的景観の調査に没頭中。専門は造園学。自然と歴史のなかで育まれた土地独特の風土や知恵(美味しい食べ物含む)をこよなく愛する。

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